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2021 今年亡くなった方々 [日常の戯言]

今年逝った方々(敬称略)

半藤一利:

2021年1月14日朝日新聞天声人語から

  負け知らずだった日本陸軍が完膚無きまでに敗れた。それが1939年、ソ連軍と相まみえたノモンハン事件である。悲劇は、作家半藤一利(かずとし)さんの手により『ノモンハンの夏』の中に凝縮されている。初めて読んだとき、心臓が震える気がした▼日本軍の火炎瓶などの手段ではどうにもならない最新鋭の戦車。圧倒的な戦力の差。敵を研究せず、勇ましいことばかり言っていた高級軍人たちを半藤さんは追及する。「ただただ敵を甘くみて、攻撃一辺倒の計画を推進し戦火を拡大したのは、いったいだれなのか」▼無計画。自己過信。優柔不断。それらは反省されることなく太平洋戦争に引き継がれた。戦前戦中の歴史を徹底的に調べて、わかりやすく書く。半藤さんが90歳の生涯を閉じた▼文芸春秋の駆け出しの編集者だったとき、坂口安吾から「歴史書にはうそも書かれている」と言われた。だから史料をつきあわせて推理し、合理性を探さねばならないのだと▼編集者から作家になり、「歴史探偵」を名乗った。『日本のいちばん長い日』では玉音放送までの24時間を、『B面昭和史』では重苦しいばかりでない庶民の日常を描いた。半藤さんの仕事がなければ、私たちの歴史感覚はずっと鈍くなっていたかもしれない▼歴史を現代に常に結びつけて考える人でもあった。日本で権力が一点に集中していくのを憂い、対談で語っていた。「民主主義のすぐ隣にファシズムはある、そのことを国民はしっかり意識しなければならない」


坂本スミ子:

元気なおばちゃんでした。


森山周一郎:

刑事コジャックでした。





田中邦衛:

当家のご近所で亡くなりました。


古賀稔彦:

平成の三四郎でした。


沢村忠:

キックの鬼でした。真空飛び膝蹴り、これが私と「真空」との最初の出会いでした。


田村正和:

古畑任三郎というより、私にとっては「総理と呼ばないで」かな。


橋田壽賀子:

昔の貧しかった日本を知る人は、どんどん少なくなります。

今では、当たり前のことは、かつてはそうではなかった。

「おしん」が世界中で観られたのは、人間の核心に触れるストーリーだったからでしょう。言葉を超えたストーリーでした。


神田川俊郎:

コロナにやられちゃいました。



丸谷明夫:

2021年12月18日朝日新聞多事奏論から

 9月4日掲載の本欄で、全日本吹奏楽コンクールの常連校、大阪府立淀川工科高が今年の出場を辞退した経緯を取材して書いた。同校を長年指導してきた顧問の丸谷明夫さんが体調を崩し、生徒たちが自ら話し合って欠場を決めたということを。

 その丸谷さんが今月7日、76歳で旅立った。記事には書けなかったが、6月、膵臓(すいぞう)に進行したがんが見つかっていた。丸谷さんは覚悟を決めていた。私も「オレの『惜別』、頼んだで」と伝えられていた。
 記事が掲載された日、丸谷さんは電話の向こうで泣いていた。コンクールより、3年生にとって最後となる来年1月の定期演奏会の方で、先生に振ってほしい。この生徒の言葉をかみしめ、「オレはまだ死ぬわけにはいかんのや」と声を振り絞った。
 音楽は、君たちの先の人生をこそ、真に豊かにしてくれる。未来を見ること。音楽を出会いの糧にすること――。コンクールについて考えさせ、勝つことが音楽の本質ではないと自らの力で気付かせることが、丸谷さんの最後の「指導」となった。
 丸谷さんは常に率先して音楽を楽しみ、その姿を生徒たちに見せていた。どうや、人生は、音楽はええもんやろ、と。
 しかし若い頃は、指揮棒を折れるほど譜面台にたたきつけることもあったという。威嚇すると、生徒たちは切羽詰まって実力以上の音を出す。でもその音は、心の底から生まれてくる喜びの音ではなかった。
 1979年の夏、高校野球の閉会式でタクトをとるため、甲子園で決勝戦を眺めていた時のこと。劣勢だった箕島高校(和歌山県)の選手がバントに失敗した。
 「あー、かわいそうに。監督にどつかれるな」。しかし目にしたのは、笑顔で大きく手を広げ、戻ってきた子供を迎える尾藤公(ただし)監督の姿だった。箕島は逆転し、優勝旗を手にした。「未熟なのは子どもやなく、オレの方やった」。丸谷さんは自戒する。教師の情熱は時として過剰な管理や暴言、体罰の温床になるのだということを。
 吹奏楽は、呼吸をハーモニーの礎とする芸術だ。自身の呼吸、すなわち自身の存在を意識し、多様な他者と響き合っている感触を体感できる。教育的価値は大きい。
 一方で、全日本吹奏楽連盟の理事長だった丸谷さんも、コンクールを共催する朝日新聞の音楽担当である私も、子供たちを音楽で競わせることへの批判にしばしば直面した。私たちの中にも矛盾がないわけではなかった。難度の高いパッセージをより速く、より正確に。金賞を目指し、オリンピックさながらに技巧を競う風潮を、「本来の音楽の喜びとは別次元のものに感じることがある。演奏している子どもたちの思いが見えない」と丸谷さんは憂えていた。
 コンクールに関わる私たちが忘れてはいけないことは何か、よく電話で語り合った。丸谷さんは生徒に対して、私は読者に対して、それぞれのやり方で直接、シンプルに、音楽の素晴らしさを伝えていこう。音楽は生涯の宝物なのだと多感な子供たちの心に植え付けていこう。丸谷さんとそう約束した。昨年、コロナ禍でコンクールの中止を決断した時も、丸谷さんは「人間教育としての吹奏楽のあり方を見つめ直すきっかけにせなあかん」と前向きだった。
 メトロノームを使う無機質な基礎練習はやらせなかった。「自分を殺して機械に合わせるのはアンサンブルの本質やない」。生徒から電話が来るたび、仕事を中断して「どないした?」と応じた。いつでもお前らが一番や。そう態度で示す丸谷さんの愛情に、私は偽りを感じたことがない。
 最後の電話で丸谷さんから託された、全国の子供たちへの未来形の「遺言」を、ここに書き留めておきたいと思う。
 「今、しんどい思いをしているからこそ、君たちはいつかきっと、多くの人の胸を打つ演奏ができる大人になれるんやで」



藤田紘一郎:

寄生虫おじさんでした。


若山弦蔵:

鬼警部アイアンサイドでした。ショーンコネリーもやってました。


小林亜星:

2021年6月16日朝日新聞天声人語から

 主演は小林亜星さん。その配役が最初はイヤだったと、ドラマ「寺内貫太郎一家」の脚本家向田邦子さんが対談で語っていた。雑誌で見た写真の印象が悪かったからで、演出家に「冗談じゃない」と言ったほどだ▼気持ちが変わったのは当人に会ってから。声がすごくいい、それに風貌(ふうぼう)が西郷隆盛を思わせたという。享年88歳、亜星さんの訃報(ふほう)を聞き、あの丸刈りとはっぴ姿を思い浮かべた方も多かったに違いない▼「ばかやろう」と怒鳴る。妻も息子も張り倒す。古い頑固おやじを演じたが、本人は自伝で「二重人格」「多重人格」を任じていた。頑固で情に弱い面もあれば、流行好きでおちゃらけた面もあるのだと。本業の作曲ではCMからアニメ、歌謡曲と一つところにとどまらなかった▼なかでも長命だったのが日立のCM「この木なんの木」で、似たような木を見るたびにあのメロディーがよみがえる。マハリクマハリタ……で始まる「魔法使いサリー」の主題歌。放浪の画家、山下清を描いたドラマで流れたのは「野に咲く花のように」▼誰にでも歌えて、すぐ覚えられる曲。そういうものを作るには「子どものときにハモニカしか吹けなかったころの気持ち」を失ってはいけないのだと亜星さんは書いている。テレビの時代が見いだした才能は、テレビを楽しいものにしてくれた▼どの歌でもいい、舌になじんだ1曲を口ずさんで追悼できれば。当方は「科学忍者隊ガッチャマン」の歌でも。地球は一つ、地球は一つ……。


大村平:

私の数学の先生。この本、ホント分かりやすかった。

微積分のはなし 上―変化と結果を知るテクニック (大村平の本当にわかる数学の本)

微積分のはなし 上―変化と結果を知るテクニック (大村平の本当にわかる数学の本)

  • 作者: 大村 平
  • 出版社/メーカー: 日科技連出版社
  • 発売日: 1972/01/01
  • メディア: 単行本

原信夫:

もうビッグバンドは見られないのでしょうか・・・

 

江田五月:

線が細いんだよな~。


ジェリー藤尾:

遠くへ行っちゃいました。




荒川清秀:

中国語の先生でした。


辻萬長:

こまつ座でよくお会いしました。


千葉真一:

千葉真一といえば、キーハンター。


二瓶正也:

「イデ隊員、コロナの特効薬発明してよ!」




内橋克人:

クローズアップ現代でよくお目にかかりました。今のNHKでは、受け入れられないかもね。


さいとうたかお:

2017年8月15日朝日新聞天声人語から

3年前に亡くなった俳優高倉健さんの声を懐かしく聴いた。「日本が戦争に負けたらしいばい」「えー降参したとな?」。敗戦の日の友人との会話を故郷福岡の言葉で再現する。戦争証言集『私の八月十五日』に収められた当人の声である▼漫画家、作家、学者、政治家ら各界の約150人が敗戦の記憶を手記や絵にして寄せた。その第5集が今月出版された。寄稿者の約半数が、自ら朗読して録音する作業にも協力している▼「戦争という行為は人間のとる行為の中で一番の愚行だ」。漫画『ゴルゴ13』で知られる劇画家さいとう・たかをさんの声は低い。先月亡くなった医師、日野原重明さんは意外と早口。勤務先が戦時中は「大東亜中央病院」と改名され、敗戦後はいきなり連合国軍に接収されたと苦難の日々を語る▼「戦争を知る世代がいよいよ高齢化し、お元気なうちに手記と肉声を集めようと急いでいます」と発行元今人舎(いまじんしゃ)の稲葉茂勝さん(63)。児童書の編集出版が主力で、合間に社員が証言を集めて回る▼これまで証言集と音声機器をセットにして希望する学校や図書館などに寄贈してきた。証言集は市販しているが、音声機器は非売品とした。無償で預かった音源で利益を追うわけにはいかないと考えたからだ。毎号が赤字である▼今年も終戦の日を迎えた。玉音放送を聴いた世代は年ごとに減り、戦禍を知らぬ世代が社会の前面に立つ。戦争という巨大な愚行を語る文と絵と声は、だからこそ公共財であると痛感する。


中根千枝:

「タテ社会の人間関係」で有名でした。大学入試問題にも出ていたような。

今なら「忖度同調社会の人間関係」でしょうかね。



コリンパウエル:

このプレゼンは楽しかった。





瀬戸内寂聴:

人間ですから、死にますよね。今頃、筑紫哲也さんと対談かな。


古谷三敏:

2021年12月14日朝日新聞天声人語から

 衣料品を扱う会社で絶えず上司に叱責(しっせき)され、家に帰れば妻子にいたぶられる。昭和の後期に人気を博したギャグ漫画『ダメおやじ』の主人公、雨野(あまの)ダメ助である▼連載中、気の毒に思ったファンから激励の手紙が出版社に届いた。当方はまだ小学生だったが、仲間と毎週、漫画誌を回し読みしたことを覚えている▼作者の古谷三敏さんが85歳で亡くなった。共著『ボクの満州 漫画家たちの敗戦体験』などを読むと、子ども時代を奉天(いまの瀋陽)や北京で過ごしている。敗色が濃くなると、「敵兵が来たら、これで殺せ」と父親から手榴(しゅりゅう)弾の使い方を教えられる。仲のよい同年代の中国人もいたが、大人の影響か、見下す感覚は隠せなかったという▼引き揚げてからは「満州、満州」といじめられる。後ろめたさはぬぐえず、戦後も長く大陸中国を旅することができなかった。代わりに訪れた台湾で、街なかの崩れたれんがを見た瞬間、北京での暮らしがよみがえり、感極まったという▼一方で、万事おおらかだった大陸での生活は、漫画家としての仕事にも影響した。「漫画の締め切りもこわくない。親子3人の暮らしが切羽詰まっても絶望しない。どこか平気なんです」。言われてみれば、ダメ助もどんな窮地に陥ろうと、どこか泰然としていた▼そんなダメ助の運命は後半に突如、上向く。ついには財閥令嬢に気に入られ社長に就任する。波瀾(はらん)万丈の大陸暮らしで培われた楽観主義が、作風でも生き方でも大輪の花を咲かせた。


立花隆:

2021年6月24日朝日新聞天声人語から

 『エーゲ』『宇宙よ』『精神と物質』『天皇と東大』『思索紀行』『アメリカ性革命報告』『四次元時計は狂わない』。どれも立花隆さんの著作である。タイトルを並べるだけで、関心領域の広さがわかる▼「3万冊を読んで100冊を書いた」と語った人である。私も立花作品なら手当たりしだい読んできたが、最も感銘を受けたのは『農協』という1冊だ。各地の農協の集票実績を調べ、族議員に会い、権力機構ぶりを描き切る。その迫力に駆け出し記者の心は奮い立った▼手際の鮮やかさを実感したのは、最高裁がロッキード事件で故田中角栄首相を断罪した翌日のこと。立花さんの論考を5、6紙で読んだが、どれも視点が違う。政界の体質を指弾し、最高裁の審理の遅さを突く。書き分けの離れ業に舌を巻いた▼とかく目の前のニュースに追われ、視野が狭くなりがちな新聞記者からすると、立花さんの視座の高さは桁違い。脳や宇宙、永遠まで調べ尽くそうとする姿勢は揺るがなかった▼〈父の書庫整理せむとて思はずに立花隆の名に手の止まる〉原田鶴子。健康面では不摂生ぶりを隠しもせず、「生活習慣病のデパート」と名乗ったが、自分のがんでさえ調べに調べて書籍化する。そんな作品群は、世代を超えて幅広い読者を得た▼「山ほどの好奇心を抱えて、その好奇心に導かれるままに仕事をしてきた」。昨年刊行した自著で歩みをそう総括している。次の1冊はいつかと待ち焦がれてきた身には寂しくてたまらない。


坪井直:

2021年10月29日朝日新聞天声人語から

 原爆の投下直後を書いたものでよく目にするのは、人びとが米国への敵愾心(てきがいしん)を口にする様子である。20歳だった坪井直(すなお)さんも全身に大やけどを負いながら「アメリカの野郎、よくもやったな。今に見とれ」と思ったという▼しかし自国の軍隊のありようにも憤りを覚えることになる。トラックで救助に来た軍人が「乗れるのは若い男性だけ。その他の者は後回し」と叫んだ。戦争に役立つかどうかで命が選別されていたと後に語っている▼広島で長年、被爆者の先頭に立ってきた坪井さんの訃報(ふほう)に接した。戦後は教員として、原爆のむごさ、戦争の悲惨さを伝えてきた。退職後は被爆者団体を代表する立場から、外国でも語った。身をもって核を知り、核に抗(あらが)う人を世界はまた一人失った▼オバマ米大統領が広島を訪問した際、その手を取る姿が印象的だった。昨年は広島ホームテレビの取材に「どういうことがあっても手をつながないといかん。意見が違っても手だけは伸ばせ」と語っていた。そうやって運動をまとめ、前に進めてきたのだろう▼広島や長崎、そして世界での核廃絶運動の先に生まれたのが、56の国と地域が批准した核兵器禁止条約だ。しかし署名すら拒む核保有国は核の性能をいぜんとして競い合い、パラレルワールドにいるかのようだ▼それでも「ネバーギブアップ」と、坪井さんなら言い続けるだろう。「人間の悪知恵でできた核兵器だから、人間の理性で潰すしかない」。これも坪井さんが残した言葉である。

益川敏英:

2021年8月1日朝日新聞天声人語から

ノーベル賞の受賞講演で戦争体験も語ろう。2008年に物理学賞に選ばれた益川敏英さんはそう考え、原稿の用意をしていた。するとどこからか批判の声が聞こえてきた。アカデミックな場で戦争に関する発言をすべきではない、不謹慎だ、というのだ▼それでも話の内容は変えず、日本が引き起こした「無謀で悲惨な戦争」で父親の家具工場が無に帰したと述べた。科学者は戦争について考え続けねばならない。そんな信念が著書『科学者は戦争で何をしたか』から伝わってくる▼原爆をはじめ多くの兵器で科学者の頭脳が動員されてきた。「今の時代、もう科学者の精神動員なんて起こらないなどと、私は楽観していません」。予算が削られた大学や研究施設にとって、軍事研究費は魅力を増しているという▼益川さんは二足のわらじをはくように平和運動に関わり続け、「九条科学者の会」の呼びかけ人にもなった。研究室に閉じこもっていてはいけないと同僚たちをデモに誘った。気骨ある科学者が81歳の生涯を閉じた▼科学者と軍事の問題をめぐっては、日本学術会議への風当たりが強くなっている。大学での軍事研究に反対してきた学術会議への批判が、政治家から公然と飛び出す。もはや政治家のみ、科学者のみに委ねられる問題ではない▼益川さんは5歳の頃、目の前に焼夷(しょうい)弾が転がってきたのを覚えているという。不発だったために助かった命。戦争体験を胸に刻みながら仕事をしてきた世代が、また一人旅立った。


私の母:

私が中国から戻るのを待って逝きました。

コロナの状況下、施設から自宅に引き取り、

医師、看護師やヘルパーさんのご協力もあり、

私と妹が看取りました。

見慣れた家の様子、

家の匂いや音、

家の窓から差し込む陽光、

そして外の風景。

そんな中で逝きました。

 

今、自宅で亡くなることが難しい。

人の死が見えなくなっている。

みんな死ぬのに。。。

母の死により、

私は、自身に残された時間を直視するようになりました。

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これまでの感謝を伝えられて、ホントよかった。


産んでくれてありがとう!


皆様のご冥福をお祈り申し上げます。

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民間は、不正検査、データ偽装。国は、公文書や統計データ改竄も。 [日常の戯言]

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これが日本製造業の実態。


たとえ、


あなたの会社では、同様なことをやっていないとしても、


これが今の日本。


森友問題の公文書改竄も同根。


最近では、国土交通省による統計データ改竄。


民間だけでなく、


日本国の信頼が揺らいでいることにもっと注視すべき。


民間の不正は、「またか」。


国の不正は、「またか」。


そのうち、外圧によるしっぺ返しを喰らうでしょう。


この国は、


内圧を見て見ぬふりして、


外圧には同調する歴史なので。

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麻婆豆腐の素、日本製では甘くて・・・ [料理]

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期待しないで買ってみました。


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甘い!



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やはり、中国製に戻ります。


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辛い!


でも、この麻婆豆腐の素、


原料は安全かな・・・・

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スキー、やってます? [スキー]

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いやあ~、懐かしか・・・


板、ブーツ、ウエア、髪型、全部80年代。



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スキー人口は、このありさま。


そして、

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スキー場も激減。


少子高齢化でこれからもスキーヤーは減るでしょうね。


高齢スキーヤーの私としては、


板、ブーツ:先シーズン新調したから当分買わない。


ウエア:まだ、まだ使える。流行は気にしない。でもプロテクターは必着。


スキー場:食事やリフト券が高いところには行かない、しかも、シニア割必須。滑走日は、平日の午前で十分。


ゲレ食:1000円以上払うのもったいない。コンビニのおにぎりで十分。


クルマ:雪道、しかも夜、そんな運転はもうやらない。疲れるし、危険。スタッドレスタイヤ なんかつけてても、滑る時は滑る。


宿:スキーの宿も減少中。私の八方尾根の定宿も廃業。ご主人の高齢化。シングルルームで気兼ねなく一人泊まれるところがいい。


・・・という状況。


もう1980-90年代のスキー環境は戻っては来ないのです。


若者もスキーなんてやらない。


「私をスキーにつれてって」なんて映画は、


今の若者にとっては、クラシック。


インバウンドとかで、


中国人相手にしても、


スキーは上達するのに時間かかるので、


リピーターにはならないでしょう。


でも、私は滑り続けます。

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バーモントカレー、中国軍の食事に採用なるか? [料理]

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中国の友人に日本のバーモントカレー甘口を送りました。


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で、作ったのがこれ。


野菜や肉の切り方に中国がでています。

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美味しかった、とメールきたけど、


中国人にとっては、「甘い」かも。。。


中国現地生産のバーモントカレーには、八角が入ってます。

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これを入れないと中国では売れないそうです。


日本の国民食カレー、


でも日本の人口約1億2千万人。


中国で人民食となれば、


その人口約14億1千万人。


日本人を相手にしないで、


中国人で売れるカレーを開発するのが企業としてはあたりまえ。


でも、やってるかどうかは知らない。


まだまだ、カレーライスの存在を知る中国人は少ない。


で、


中国軍の軍隊飯に採用されれば拡販になるかも。


「バーモントカレー(米国の州名カレー」)を喰って国を守ろう!


なんて、拡販プレゼンを中国政府にするセールスマンは、


ハウス食品の日本人にいるだろうか・・・

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中国の友人夫妻のある日の夕飯から・・・ [料理]

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中国の友人夫妻のある日の夕飯。


まあ、こんなもんですよ。


日本人も同様。


日本人は、毎日寿司なんか喰わないし、


中国人だって同様。


共通しているのは、


白米と木の箸。


これは重要なことだけど、気づく人は少ない。

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Graying Japan [日常の戯言]

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これが今の日本。


さらに進むでしょう。


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野菜の店頭販売。


昔ながらの現金、小銭お釣りをやり取りする商い。


中国では、露店のおばさんでさえ、


電子決済。


「年取ったから、スマホで支払いなんてできないよ!」なんて、言ってられない。


学び続け、


変化順応しないと、


生き残れない。


生き残ったのが強いのです。


あなた、


今の仕事をそつなくやってれば、


文句は言われないでしょうが、


未来を保証されるわけではない。


学び続けることの重要性を言う人は少ない。


これがGraying Japan!

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スキーへGO! [スキー]

コロナワクチン接種した人向けのANAの15,000円のクーポン、


ANAのマイレージを使って飛行機代+ホテル代がゼロ!

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なので、出発準備。


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今年からバックプロテクターを導入。


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往復宅急便で送ります。


もうクルマで夜な夜な行くスキーは卒業。


かと言って、


夜行スキーバスは疲れる。


JRスキーは高いし、行きたくないスキー場ばかり。


やはり、若者がスキー、スノオボードやらないとスキーは廃れます。


ゴルフも同様。


Graying Japan!

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今年も配達に時間かかるクリスマスプレゼント [日常の戯言]

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中国の田舎に送るのに、


EMSで2週間もかかりました。


原因は、コロナによる飛行機の減便。


そういえば、


今日は私の誕生日。


コロナ発病せず、元気です。


人間、生きてるだけで儲けもん。


雪も降ってきました。


そろそろスキー場へ行きます。

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北京冬季オリンピックに行く予定でしたが・・・ [スキー]

北京冬季五輪に観戦予定でしたが、


”感染”予定になっちゃうので行けません。


中国語で各種目は、以下のように言うそうです。

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スキー、特に


アルペン競技は中国では知られてません。


まあ、普通の家庭ではスキーは縁遠いです。


場所が限定され、


時間と金がかかる競技ですから。




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