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「屑屋さん」半世紀前の日本にもありました。 [科特隊アジア大捜査線]

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中国の田舎の街角。


廃品回収の立て看板。


今、日本で廃品回収というと、


PETボトル、空き缶、古新聞でしょうが、


半世紀前の日本にも金属回収を生業とする


屑屋さんがいました。


中国の田舎には、今もいます。


もちろん、バキュームカーも。。。

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ぼくあずさ

戦後昭和22年春に縁故疎開先から生まれた田端新町のバラック建ての家に戻る。上野公園には戦災浮浪者多勢いた頃、私はご近所の子
供達と一緒に鉄くず拾いをしたものです。明治通りを朝夕米軍戦車
隊と十輪トラックがジープを先頭に轟音を立て走り去りました。
高校1年までは勉強はセズ、屋外活動と荒川放水路の汽水池での水
浴びとハゼ釣り。夏休みや冬休みは私だけ一人1日延長でした。遊びに夢中で学校があるのを忘れてしまうのです。中学は東大狙いの開成ではなく、寛永寺の寺子屋をルーツにもつ旧制天台宗中学でした。
これはご先祖が徳川幕府別格旗本の娘、江戸城将軍政治の中枢中奥で女官を務めた94歳の長寿の母方の曾祖母の意向を汲んだものです。
Liebe Gruesse,
by ぼくあずさ (2020-12-08 09:08) 

早稲田大学鋳物研究所スキー部長

すごいご先祖様ですね。
私は、小学生のころ、学校から帰ると、ゴカイを半盃買って、八幡橋の橋の下でハゼを釣ってました。親友には家庭教師が付き、駒場東邦→駿台午前部→慶応医学部。私は、根岸中(聖光落ち)→横浜緑ヶ丘(湘南落ち)→駿台昼間部(午前部落ち)→早稲田理工(医学部落ち)。
でも、人生は楽しくやってきました。
by 早稲田大学鋳物研究所スキー部長 (2021-05-27 18:31) 

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