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ハゲタカ 北関東アルミ編 第一回 「今、そこにある危機が見えない」 [北関東アルミニウム工業]

2008年10月。 

100を切れないゴルフ三昧の日々から、日本に5年ぶりに帰国。

目的は、かつて、追われるように去った北関東アルミを中国系巨大ファンド”赤いアルミ”による買収から守ること。

かつての盟友 常務の緒万雄土の依頼だった。

Dr.Super-G(以下、DRSG)は、 

北関東アルミの現状を知るために、

同社ではなく母校早稲田大学を訪れた。

 081004_1530~01.jpg(本文とは関係ありません)

新卒学生向けの技術セミナーが開催されていた。

各社の人事、研究開発担当者が集まり、

早稲田の学生を確保しようと、OB会が主催していた。

もちろん、北関東アルミも自社の技術開発事例のプレゼンをしていた。

会場には、DRSGから博士号の剥奪を画策した佐藤名誉教授やの吉橋准教授の姿があった。

佐藤「よくもここに、来れたもんだ!」

DRSG「まだ、生きていたのですか。晩節を汚さないように。」

・・・・一触即発状態に割りに入ったのは、

DRSGの友人でもあり、師匠の中川名誉教授であった。

中川「二人とも、場所柄を考えろ! 学生のための技術セミナーだ。次は、北関東アルミのプレゼンだ。静かにしろ!」

北関東アルミのプレゼンをしたのは、かつての部下、加納浩二だった。

加納のプレゼンは、すばらしく、その他の参加企業の誰よりもわかりやすかった。 

DRSGは、仕事を通じて加納にプレゼンの極意を教えた。それが、受け継がれていたのだった。

加納「お久しぶりです。私が早稲田でプレゼンなんて、思いもしなかったです。」

DRSG「いやあ、感動した。わかりやすかった。早稲田の授業よりわかりやすい。学生の人気も上がるんじゃないか。」

そんなとき、後ろから声がかかった。

「あっ あ~、また、何か大騒動が起きそうですね!」

加納の部下、福田志郎だった。

DRSGとは、よくBBQをやった間柄であった。

若手エースの福田は、リクルーターとして人事部から信頼され、多くの優秀な学生を入社させていた。

福田「緒万常務から聞いています。うちを助けてくれませんか。中国系ファウンド赤いアルミの王って人、よく知ってるんでしょ? 昨年、入社した黒田君もあなたの帰りを待っています。」

会場内で早稲田のOB連中から突き刺さるような視線の中、

DRSGは、加納、福田に救われた。

DRSG「で、どうなんだい、北関東アルミは?」

加納「今晩、みんなで飲みに行きませんか? これがうちの息子です。おかげさまで、早稲田に今年入りました。 息子は、昔からあなたに会いたがっていました。いただいた万年筆で早稲田の願書を書いたんですよ。」

その晩、西早稲田の居酒屋「源兵衛」で北関東アルミの危機を知ることになるのであった。

9857757.jpg

同席した中川名誉教授(いかりや長介似)は、加納、福田にこう言った。

「お二人さん、こいつ(DRSG)は、本当に世渡りが下手だ。学生の時からだ。でもな、こいつは、やるときはやる男だ。スキーもゴルフそうだった。こいつを使いこなせないんだ、日本は。あんたら、使いこなしなさいよ、こいつを。

中川は大学における教養教育の重要性を説き続けている教員であった。学生とともに実験をし、日本やワセダの行方をよく論じていた。DRSGのコアの部分は、中川から受けついだものだった。

久しぶりの日本の居酒屋。

しかも、西早稲田。

楽しい夜であった。

そこに一通のメールがDRSGの携帯に。

緒万雄土の娘、友里からだった。

「明日至急、池袋の中華屋で会えませんか?」

マニラのアジア開発銀行に勤務する友里。

「何だろう!いつものシンガポールのラッフルズホテルではなく、池袋の中華屋だなんて」

なぜか、心躍るDRSGであった。

(北関東アルミは、あなたの心のなかにあります)


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