11/22朝日新聞 天声人語から・・・


個人的には……。わざわざそう断ってから発言する人がやけに多いように感じる。気のせいだろうか。「私はこう思う」と単に言えばいいのに、なぜかこの表現がよく使われる▼それなら今までの話は何だったのか。まさか何かの組織を代表していたわけでもあるまい。疑問に思って同僚に尋ねると、本来の意味とは違って「相手の気に障るかもしれないけどこれだけは言っておこう」といったときに使うという▼組織論が専門の同志社大学教授の太田肇さん(65)は日本の企業などでの同調圧力の強さを指摘する。周囲と異なる意見を言うには圧力にたえる「逃げ道」が必要で、それが「個人的には」といった表現になっているのではないかと▼「日本の組織には私より公を優先する暗黙の前提がありますから」。ただ、前置きの後に本音を語れるような場合はまだましなのかもしれない。「最悪なのは本音が語られず、建前だけの組織です」と太田さん▼「私の個人的意見は反対でありました」。日本が戦争に向かった経緯について、A級戦犯が東京裁判で語った言葉を政治学者の丸山真男が書き残している。自らの考えを「私情」と排し、ひたすら周囲に従うのをモラルとするような指導者の言動を丸山は「既成事実への屈服」だと喝破した▼豊かで平和な社会は異論によって形成される。正直言ってあまり好きではない言葉だけど、そう前置きするだけで言いたいことが言えるのならば、もっと使われてもいいと思う。個人的には。

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この同調自己圧力が、外国語の習得を妨げているのです。


上述の同調姿勢が異文化(言葉や人)との交わりを妨げてる。


言葉や文化を学ぶときは、


まず、


その人が自分で前に出る必要あります。


例えば、英語の発音をネイティブのようにやると、


日本人は、


「かっこつけちゃってよ~」なんて言います。


でも、


日本語を話す中国人のマネをすると、


笑いが取れるのは、なんでだろう???